ユーザーズ・マニュアル
stage1『邪術師は逆襲する』


1-2
【眩しき闇】

「気持ちいいわねぇ……」

 午後五時三八分。東京・秋葉原、中央通り。

 沈みゆく太陽に照らされた無数の大型家電店とサブカルチャー専門店からなる黄昏時のビル街の狭間。

 無個性な人々の群れの中を瀟洒な足取りで行く少女は、煤煙に霞んだ空を見上げ、悠然と一つささめいた。

 チョーカーとスカートの両サイドに蝙蝠のモチーフをあしらい、フロントに複雑な編み上げを仕込み、

どっさりと波打つ三段のフリルがついたモノトーンのワンピース。

 軽く波打ったセミロングのプラチナブロンドの髪にはアクセントとして服と同じ色のヘッドドレスが載り、

黒く分厚いタイツと小さなリボンが二つ付いた、華奢な足を彩る黒のカッターシューズ。

等身大のアンティークドールを思わせる、ステレオタイプのゴシックロリータを纏った少女……。

 魔女(ウィッチ)という形容詞が一番似合う少女は、藤色のコンクリートジャングルを行き交う人々の眼には、

あまりにも眩しい闇を内包していた…………。

 

 秋葉原。昭和初期からラジオの部品や電気商材の問屋街として発展し、戦後は電気製品の闇市でその基礎を磐石のものとし、

高度経済成長期以降は家電・パソコン製品やサブカルチャーの店により少しずつ形を整えていった、亜細亜最大級の電気街。

 日本を代表する産業の筆頭たる場所であり、かつては血みどろの惨劇の舞台でもあった街は、

今も変わらずネオンサインとキャラクターの群れ、そしてその大海原の中を鰯の如く回遊する人々によりその形を成している。

 そんな光と音と機械と、何より濃密なカオスで出来た世界(まち)の中でも、少女の両足は迷い無く一つの場所へ向かっていた。

「いつ来ても、ここは喧しいわね……」

 秋葉原のメインストリートである中央通りから一つ角を曲がり、電気街口を渡って神田明神通りに入ると辿り着くのは、

中央通りや駅前の電気街口エリアよりも更にディープな世界の様相を呈する、通称“アジアンサイバー街”。

 中古パソコンやそのパーツを扱う専門店が軒を連ねる、まさに機械の密林。今の所謂萌え要素という言葉にムラなく塗り潰され、

今やすっかり埋もれてしまったような場所に、そこはあった。

 過剰とも言えるほど清掃が行き届いた真白い壁と窓ガラスに数多の光と音を反射させる、老舗のゲームセンター。

既に築ン十年は軽く超えているだろうが、ここの店主は中々どうして潔癖な人物らしい。

 ……これから少女が会う予定の人物がいつも待つその店の、一際大きなガラスの自動ドアが開かれると、

けたたましい電子音と光の群れが少女を迎え入れる。電子の不協和音は人の三半規管にダイレクトに刺激を与え、

時間や場所を認識するための感覚器官を侵食し、その心の全てを快楽で満たす。至極まともな人間であれば目眩すら憶えてしまうだろう。

 とはいえその光と音の大洪水の中でも、一切迷う事無く少女はそこへ辿り着いた。正確には先に“そこ”にいた一人の少年の元に。

 

「……待ったかしら、脩」

「俺はもうちょっと遅くてもよかったんだがな。見ての通り取り込み中だぜ、リリィ」

 シルバーのトップスとモスグリーンのロングパンツ。深い群青の髪にシルバーのメッシュを入れた華奢な少年。

 年は一〇代半ばを越えたあたりだろうか……だがそれに全く見合わない、冷たくも烈しい気魄めいたものをその身に宿した少年は、

傍らのリリィという少女に対し、あくまで淡白にそう答えた。

「一応私の業界も信頼第一だからね。それとも貴方、約束の時間は守りましょうってお母様に教わらなかったのかしら?」

「教わった事は教わった。だが何もその辺秒単位できっちりする事無いだろう。かえって気味悪いぜ」

 脩と呼ばれたその少年は少女・リリィと流暢に言葉のやり取りをしつつも、その瞳をしっかりと年季が入ったゲーム筐体の液晶画面に向けている。

 八十年代も後半にリリースされた、縦スクロールシューティングゲームの先駆け的作品『ガルレウス』だ。

 高性能戦闘機・ゼロスを駆って、対空兵器のバルカンと対地兵器のナパームを使い分け、襲い来るガルレウス軍の敵を倒していくという、

オーソドックスなシューティングゲームである。リリースから彼是三〇年以上過ぎた今でもこのゲームセンターでは未だに現役どころか、

都内の名だたるシューター達がそのスコアを日々競う、千代田区界隈では名の知れた、ちょっとした闘争の中心点であった。

 メダルゲームやらプリントシール機、対戦格闘やオンライントレーディングカードゲーム……。時代とともに少しずつ様変わりし、

今ではすっかり無軌道かつ軽薄な若者やアベックの溜り場と化したアミューズメント施設の中にあって、

しかし誰一人目を向けるもののいないシューティングゲームの筐体が列を成す一角。

この店は未だ頑固に『ガルレウス』を筆頭としたレトロゲームの筐体を未練がましく四台も並べていた。

 

 脩は、これが好きだった。

 避けて、撃つ。至極単純なこのゲームシステムはまさに人間の持つ能力が全て問われるものだ。

 画面上からどう動くかを瞬時に組み立てる状況判断、予期せぬ事態にも揺らぐ事のない反射神経、高速の敵や弾に対応する動体視力、

それらを保ち続ける持続性、そしてそれら全てを手元の動作に直結させる伝達力。

 それら全てが伴わなければ、この世界ではトップランカーには成り得ない。人間の確かな力。

それがそのまま試されるこのジャンルが、脩は好きだった。

「そう言えば。いつもの幼馴染みのあの娘はどうしたのかしら?」

「有紗なら多分今頃は中央通りでいつもの画材漁りだ。締め切りが近いのに色々切れたからってよ。その後は担当と打ち合わせだそうだ。

まぁ……アキバとブクロ、そして中野はあいつのホームグラウンドだからな、俺が付いていなくても迷う事は無いさ」

「ふぅん。彼女、学生のアルバイトにしては大層な事しているのね。……だけど夕映え時の繁華街を女の子一人で歩かせるなんて

感心しないわよ? 暇を潰す場所なら他にあるんじゃなくて?」

「こんなトコに一人でやって来たあんたが言うな」

 リリィはふと思い立って、脩が挑んでいるガルレウスのプレイ画面を覗き込んで思わず口元を緩める。

 対空兵器のバルカン、対地兵器のナパーム、どちらをとっても脩のゼロス捌きは、見事としか言いようの無いものだった。

 シルバーの敵機から高速で放たれる弾丸をそれこそ紙一重のところで躱し、その間に出来た僅かな隙に、

ピンポイントで一撃を叩き込む。自機手前の照準を地上の敵にいち早く合わせ、すぐさまナパームを投下して破壊する。

 眼から脳へ、そして手へ。脩の思考、そして行動のリンクは素早く、そして正確そのものだ。森林、砂漠、平原、海、地上絵…………。

 それらを眼下に望む戦場を脩のゼロスは駆けていく。それに伴って画面上部のスコアは右肩上がりに上昇し、

それは九〇〇万点を既に超過していた。しかもここまで一機のミスも無いというのだから驚くばかりである。

世が世なら脩は希代の撃墜王として世界の戦史、その功労者達の末席にその名を連ねていた事だろう。

 ちなみにこの店のハイスコアは八九八万六九〇〇点。腕に覚えのあるシューター達が打ち立てた記録(レコード)は姫鶴脩という少年により、

彼是五分ほど前に呆気なく更新されてしまっていた。

 

「……あと七万点かそこらでカンストだな」

 カンストとはカウンターストップの略で、スコアがある一定点数に到達するとこれ以上スコアが増えなくなるというシステムである。

ガルレウスの場合は九九九万九九九〇点でカウンターストップとなり、そうなればこの店で長く続いたハイスコア争いも終止符が打たれる。

「ほい、カンストっと……」

 そしてあっという間にスコア表示は数字の九で埋め尽くされ、その数を刻むのを止めた。所謂エンディングが存在しない為、

これは事実上のガルレウス軍との終戦……。それを認めてなお飛び続けるゼロスを放り出す形で脩は席を立った。

「流石……って褒めればいいのかしら?」

「これくらい初等技術だ」

 姫鶴脩とリリィ。二人が発った後のゲームセンターはここを主戦場とするシューター達により、

それこそ蜂の巣を突いたような大混乱の様相を呈していた。

 

 魔女術(ウィッチクラフト)のプロフェッショナルとして、都内のとある大規模商業施設の片隅にオカルト専門の小さな店を構える、

リリィ・ファーランドという少女。波打つブロンドの髪、紅玉の如く赤い瞳、そして陶器の人形のような白い肌……

その全てを覆い隠すように纏ったモノトーンのドレスは、この少女が決して所謂“まともな人間”では断じて無い事を、雄弁に語っている。

 だから、この秋葉原という街を行き交う人々の誰も彼も、彼女に触れたりしようなどという考えを起こす事はなかった。

 “まともな人間”であれば決して持ち得ないもの……現代人が迷信として排斥していった魔力じみた何かを、彼女は持ちすぎるほど持っていたから。

 そんなリリィという少女が、都内の私立高校に通う一介の学生である筈の姫鶴脩に、こうしてコンタクトを取ったのには勿論理由がある。

「いつにも増して今日は機嫌がいいんだな」

「えぇ。新しいオイルやインセンスがたくさん手に入ったからね。浄化(ブレッシング)のインセンス、手に入れるのに四ヶ月かかったのよ?」

「そんだけ今でも需要があるって事かよ。魔術って言うのは大半が偽薬(プラシーボ)みたいなもんだってのに」

「……何それ。私への当てつけかしら?」

「別にアンタを貶してるわけじゃない」

「じゃあ何? いつもの事だけど、貴方の言はどうも要点というものが見づらいわね」

「…………効くと思えば効くって言っているんだ」

「ならよろしい。それに脩、魔術は決して偽薬と言い切れるものではないと知っているのは、何よりあなた自身ではなくて?」

「……アンタにゃ敵わねぇな」

「只管思考が単純すぎるのよ。現代科学とかいうリアルなまやかしに毒された現代の“人間”はね」

 

 魔術、魔法、超能力といったオカルトの世界の学術は、二一世紀を一〇年以上も前に迎えた現代においては、全く荒唐無稽な迷信。

 それが一般的な常識というものだ。とはいえ、そんな迷信を今尚自分の中に生かし、その力を自在に振るう存在……

そのような人間が今もこの世に存在し、様々な分野で活躍しているのも事実である。最近は全盛期に比べれば沈静化したものの、

未だに世界の何処かでそれは学術の一つの分野として市民権を得ているし、少年・脩の父……今は亡き姫鶴鏡博士は、

そうした不思議な力を操る人間……遣い人(ユーザー)研究の権威であった。

 そして、姫鶴鏡という男が確かに存在したという事実は、そのまま人と異なる力を備えた異質な人間が、

確かにこの世に存在するという事実……もとい、真実の証明でもある。

 西洋魔術、ESP、宿陽道、ヒーリング……それらが持つ力を解析して一つの理論と為し、人の力の新たな可能性を見出したのが鏡である。

 魔術の世界では女史という一端の肩書きまで持つオカルトのプロフェッショナルたるリリィとも、職業柄親交があった姫鶴鏡。

彼の一粒種である脩とリリィがこうして相互関係を持つ事は、決して不自然な流れではなかった。

 何より、脩もまた、父・姫鶴鏡の、実験サンプルの一人であったのだ。

 

 物心付いた頃から脩の中にあった不思議な“破壊の力”。

 父のプロジェクトにより与えられた力。一歩間違えばあらゆる物を傷つける、絶大な力。

 その存在理由を幼い脩は何度も自問し、苦悩した。力を理解し、制御出来るようになるまで命に関わる傷を無数に負ってきたし、

ホンの少しその扱い方を誤ればその力がどれだけ危険なそれかも嫌というほど学んできた。 

 時に父を憎み、時に力に溺れそうになりながらも、考え、悩み、迷いながらも……脩は脩なりに自分の中の“破壊の力”と付き合っている。

 不思議な力を理論化し、それによって人に“力”という武器を与えた咎人である父の罪を贖う為、人に害を為す遣い人を滅していく事。

 それが脩の定めた選択(みち)であり、その羅針盤となったのがリリィであった。

 

(人を超えた力を持てば、一度は誰でもそれを使ってみたくなるものよ。そこに銃があれば誰かを撃ってみたくなるようにね。

私は……その心に力という大口径の銃を持った人間に、せめて正しい標的を用意したいの。決して撃つ相手を見誤らないように。

彼等……いえ、貴方自身が絶大なる力に溺れ、無差別に人に害を為す危険な遣い人とならない為にね…………)

 ――かつて脩をこの世界に誘い込んだ頃、リリィが彼に告げた言葉だ。

 

「懐かしいわねぇ。あれからどれくらい経ったかしら……」

「……さぁな。だが、今でもあの言葉だけは忘れてないつもりだぜ」

「それなら結構よ。博士は何より貴方自身が、人類にとって最大の敵となる事を恐れていた。……それこそ、今際の際までね」

「心配するのは尤もだ。だが……そいつは杞憂ってヤツだよ。俺は少なくとも、善悪の判断くらいはつく人間だ」

「そうであってほしいわ…………」

 いや、特に貴方は如何なる時でも……世のどんな能力者よりも、そうあるべきだ……。

 リリィはそう言いかけて、やめた。

 

「ごめん脩! 待った〜!?」

 二人の背が、快活な少女の声を受け止めたのだ。鮮やかな栗色の髪を二つ結い上げ、空色のブラウスと紺のプリーツスカートで全身を固めた、

脩とほぼ同じ年頃の少女……。脩の幼馴染みである八幡原有紗。彼と同じ学校に通いながら、同人漫画活動に精を出しつつ、

某商業誌に不定期で連載漫画を描いているという意外と凄い少女である。当然、リリィという黒い少女とも顔見知りだ。

「……遅せぇぞ、有紗」

「そりゃ悪かったわよ……だけど、文句なら編集の井藤さんに言ってよね。あの人あぁ見えて拘り派でさ、

私の苦手なきついギャグとか注文が細かいの。今月号の分の原稿、没が無かったのが幸いってものだわ」

「そいつぁ確かに幸いだ。……少しくらいはその井藤さんも考えてる」

「っていうか、考えてくんなきゃ駄目でしょ? やってる事はアレだけど私は一応学生なんだから」

 愚痴る少女と涼やかな少年。幼馴染みの男女の、何気ない会話のやり取り。そんな二人を認めて、ふっ、とリリィは笑みを漏らす。

 脩はいつもの脩だし、有紗もいつもの有紗だ。今の脩ならば、自分の“用”を十分任せられる。

「貴方の用は済んだみたいね、脩。じゃ……次は私の用に付き合いなさいな」

 悠然と身体を捻って漆黒のドレスを揺らし、魔女は二人の先頭に立ち、そっと歩き出す。少年と少女はそれに続いた。

黄昏時の中央通りを幽雅に駅の方向へ、リリィの先導で進んでいく二人…………。

 

「どこ見て歩いていやがる、テメェ!」

 と、突然にドスの利いた男の声が後ろから響く。声がしたのは通りに面した裏路地だ。

 とある一人の少年がコンクリートの塀に押え付けられ、その顔を恐怖に引き攣らせている様子が見えた。

黒い詰襟に身を固め、刈り上げた黒髪が滅茶苦茶に散らばっている。

 あの真っ黒な詰襟の制服は恐らく都立天海高校のそれだろう。少年はその帰りにちょっと寄り道と洒落こんだつもりなのか、

道の隅には学校指定の学生鞄が無造作に転がっている。

 彼を押え付けているのは一八〇センチを軽く越す、いかにも番長という表現が相応しい大柄な男。

他にも彼の取り巻きと思しき中肉の男五名が主犯格の男と共に、逃走防止用の壁になるように少年を取り囲んでいる。

 

「人様にぶつかって来て挨拶も無したぁ舐めてやがる!」

「どうしてくれんだ! テメェの所為でナオキの足が折れちまったじゃねぇか!!」

 ナオキと呼ばれている男がわざとらしく、苦痛に歪んだ顔を作って右足を抑えたままぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「いてぇっ、痛ぇよぉ! 死んじまうよぉ!」

 ナオキの仰々しいそれは、実際は足など折れていない事、それどころか痛みすら全く感じていない事、

そしてナオキというこの男が実際に今日まで足の骨を折るような怪我を負った経験が一度としてない事を、はっきり証明するそれであった。

 あまりに、わざとらしい。だがそんな彼の下手糞な演技さえ、突然のアクシデントに動揺していた少年は見抜けなかったらしい。

「そ、そんなに強くぶつかってなんか……。第一ぶつかってきたのはそっちじゃ…………」

「何出鱈目ほざいてんだコラァ!!」

 ばきっ、という鈍重な音とともに、少年はアスファルトの上に屈服する。口元と額から赤い筋がつぅ、と、それぞれ一本描かれた。

 うめき声を漏らす少年の身体に、街頭に照らされた大男の影が重なる。拳の骨を大袈裟に鳴らす下卑た男の笑いが、

少年の恐怖心を煽る程の冷たくも猛烈な突風を巻き起こしていた。

 そしてすぐさまそれは少年を直撃する。強烈なパンチが眉間にヒットし、少年の意識が揺さぶられる。

 倒れる暇もなく急所に飛び膝蹴りが入り、地面から数センチほど浮かせられたあと、少年は再び路地に倒れ臥す。

髪が引っ張られる痛みに苦しむ少年の頭を、男は豪快に叩きつける。誰もが思わず目を覆いたくなるような残虐な私刑であった。

 

 当然、一連の出来事はバッチリと三人の目前で起きていた。少年と三人の目が合う。

 恐怖でロクに焦点が定まらない彼のその瞳ははっきりと、彼等に助けを求めていた。

 

「何よあいつら! 頭来ちゃうわね、あんな子苛めて! 文句言ってやるっ!!」

 そう言うなり有紗は勇んで男達の下へ大股で歩き始める。が、すぐさま一本の腕が彼女の行く手を遮った。

「……引っ込め、有紗」

「何よ脩! あたしの邪魔しないで!!」

 なぜ止めるんだ、彼を見殺しにする気か、そう言わんばかりに激昂する有紗を脩はあくまで冷静にセーブする。

 これは一〇年以上もの付き合いがある幼馴染みという関係だからこそ、ほぼ瞬発的に出来るアクションだ。

「……その細ぇ腕で奴等に勝てるとでも言うのか?」

 脩の残酷な科白に思わず有紗はどもってしまう。

 ……言われてみれば尤もだ。相手は男三人、自分は力の無い女の身。勝敗は火を見るより明らかだ。

それにあの如何にもヤバそうな奴等ならば、何をしでかすか分かったものではない。

「それに、俺もあいつらにムカついてたところだしな」

 言うなり脩は男たちに向けて歩き出す。ただただ二人の少女はそれを見守る。

 リリィは悠然とした眼差しで、有紗は理由もなく不安げな表情で。止める事は出来なかった……いや、しなかった。

 他ならぬ脩自身の眼が、“ここは俺に任せておけ”と語っていたのだ。

 

「何とか言えってんだよ、このクソが!」

 顔の至るところから血を流し蹲る少年の土手っ腹に、男は容赦なく蹴りを叩き込む。彼等による非情な私刑は未だに続いていた。

固い革靴の爪先が少年の五臓六腑を容赦なく壊す。もはや少年は悲鳴もロクに上げられない状況だ。

 この手の不良グループは往々にして、加減というものを知らない。いや、知っていてもまずしない。グループ内部で力を誇示するため、

下手に手を抜いて自分が苛められる側に回るのを防ぐため、徹底的にやろうとする。

 その結果相手を死に至らしめても決して悪びれる事はない。それほど、群れをなす者は何より危険なのだ。

 自分はここで殺される……少年はそう覚悟を決めたのか、歯を固く食いしばりその両の瞳を閉じた…………。

 

 ドカァ。

 

 少年を殴るリーダー格の男を眺めるのに夢中になり、すっかり周囲に対する注意を欠いた取り巻きの一人の後頭部に、

強烈な回し蹴りが入った。不意を突かれたその男は派手に前方に吹っ飛んでアスファルトに叩きつけられ、

眉間から血をどくどくと流している。当然、その蹴り足の主は脩その人。

 彼の存在を認めた不良グループは一斉にどよめき立つ。雑魚を一人片付けた脩は、その睥睨の視線をリーダーに向ける。

「何だテメェは!!」

 先程まで少年を袋にしていたリーダー格の男が鼻息を荒げ脩に迫っていく。だが彼は多数の男を相手にしても、

恫喝の嵐を真正面から受けても、その冷淡な姿勢を一ミリも崩さない。

彼等を睨む脩の冷たい視線からは、むしろ余裕めいたものさえも感じられる。

「どこまでも情けない奴だな……自分より弱ぇ奴しか殴れないとはよ」

「何だと、テメェ! 関係ねぇ奴はすっこんでろ!!」

 シャキン、という冷淡な金属音がやたら大きく響く。取り巻きの一人である長髪のひょろ長いいかにもチャラ男といった感じの男が、

ブレードを起こす際のアクションの格好良さから一時期流行した、刃渡り二〇センチのバタフライナイフを脩の眼前に突きつける。

 それでも脩は悠然と男の右手首を掴んで引き伸ばし、彼の右の肘の関節を強烈な掌底打ちで叩き折る。

バキッという音と共にアスファルトの上に崩れ、その手からナイフを取落とし、苦悶の表情を浮かべ呻き声をあげる男を蹴り飛ばして

壁に叩きつけ、改めてリーダー格の男と対峙する。

「こいつと同じようになりたくないならこれ以上は止めとけ」

 だが脩の一連の行動は、男をただ逆撫でするそれでしかなかったらしい。目の前で仲間を叩きのめされたのだから、至極当然の反応と言える。

「あぁん!? 何クソアマの前でカッコつけてんだぁこのシャバゾウ。半端モンの分際で一端に外歩いてんなよオイ!

 一生部屋に引き篭もってエロサイトでも見てろってんだ、あぁ!? タコスケがよぉ!!」

 ごつい顔にオールバック、団栗眼に無駄に大きな口、今や絶滅危惧種と言っても間違いじゃないステレオタイプの不良番長といった感じの男は、

額に血管を太く浮かばせて限りの大声で脩をどやしつける。そうすればビビッて財布を出して、

そのまま尻尾を巻いて逃げるとでも思っているのだろう。

「こちとら子分が足折られちまったんだよ! ならその償いをするのが当たり前ってモンだろうが!!

 それともテメェ、そんな当たり前もわかんねぇ程の底無し莫迦なのか? おい! 何とか言えコラ!!」

 無論、その考えは浅はか以外の何物でもないわけだが。強ければ何をしても許されると思っている。体がデカければ強いと思っている。

 シャバゾウとかタコスケとか底なし莫迦とか、絶えず放たれる罵倒のボキャブラリーも浅すぎる。

 この男は脩の一番嫌いな人種だった。

 

「何だ、そのツラぁ!!」

 刹那、男のゴツゴツした大きな石のような拳が、脩めがけて飛んでくる。だがそれが命中するその前に、脩の掌が男の眉間を捉えていた。

 スピードだけで言えば打撃の際に腕の筋肉を収縮させてスピードを阻害してしまう握拳よりも、収縮によるブレーキがない開掌による

打撃の方が遥かに速い。先んじて顔面に打撃を受けた事で、男は軽い前後不覚状態に陥る。

「クソアマ……だと?」 

 脩はそんな男の右の手首をいつの間にか左手でがっしりと掴んでいる。その瞳に、暗い炎をたなびかせて。

「……さっきから大人しくしてりゃ…………ガタガタ五月蝿いんだよテメェは!!」

 脩はそう叫ぶなり、空いた右の二本貫手を男の眼前に翳し、意識を瞬間的に人差し指に送り込む。

 

 バチイィッ!!

 

 刹那、脩の右人差し指と中指の間から、緑色の鋭い針のような閃光(プラズマ)が迸った。

 超至近距離から男の右眼の瞳孔という的にピンポイントで命中した超高熱の針は薄い角膜と水晶体を容易く突き破り、

ガラス体の奥深くにある視神経までもその強烈な熱で無残に焼き切った。

 周囲の眼筋、強膜、脈絡膜までもがズタズタに破壊される。もはや、男のギラギラした右の団栗眼が光を取り戻す事は二度と無い。

 

 ……脩が、その身に宿る『破壊の力』を振るったのだ。

 

「うぁっ、うぁああああ!! 眼が! 俺の右眼があぁぁぁ!!!」

 紅の涙が止め処なく溢れ出る右眼を押さえ、アスファルトの上をのた打ち回る男。その様は無駄に大きな図体からは

想像も付かないほど見っとも無い。取り巻き達はというと何が起きたのか分からず呆然とするだけだ。

「眼が! 右眼が見えねぇよぅ! 誰か助けてくれぇ!!!」

「あ、兄貴ぃ!!」

「おい、誰か携帯貸せ! 救急車だ!!」

 手から火花を出せる人間。そしてそれにより右眼を失ったリーダー格の男。突然目の前で起きた、様々な信じられない事態。

それを目の当たりにし、右へ左へと不良グループは大童になる。

「あぁぁっ! だから……五月蝿ぇっつってんだろうが!!」

 ところが耳障りな悲鳴、そして取り巻き達の混乱する様は、却って脩の神経を逆撫でしたのだろう。脩はもう一度二本貫手を男の眼前に翳し、

針の如き閃光をスパークさせる。解き放たれた力は男の左目までも修復不可能なまでに破壊しつくした。

 リーダー格を倒されたこの不良グループの中にはもう、抵抗しようなどという考えは欠片も残っていなかった。

「うぅ……うあぁぁ…………!!」

 光を完全に失い、もはや悲鳴を上げる気力もなくした男は、取り巻き達の肩を借りてすごすごと退散する。

「畜生! 憶えてやがれ!!」

 という、取り巻きの典型的な捨て台詞と共に。

 

 嵐が一つ過ぎ去る。有紗自身は眼前で起きた現象に暫し呆然としていたが、すぐに思い立って暴行を受けていた少年に駆け寄る。

「君! 大丈夫!?」

「うぅ、は、はい……っ」

「全然大丈夫じゃねぇじゃねぇかよ。強がりやがって……ほら、掴まんな」

 脩の腕を借りて立ち上がった少年はその顔を上げると……すぐにその表情を一変させる。驚きとも、慶びとも取れるそれに。

「しゅっ……、脩さん! やっぱり脩さんだ!!」

 少年にいきなり自分の名前を呼ばれた事で脩は思わず目を丸めた。

「……何で、俺を知ってる……?」

「あれぇ? ほら、憶えてませんか? 中坊ん時の舎弟だった矢代光吉ですよぅ!!」

「何よ……脩の知り合い!?」

 有紗の問いに先に答えたのは何故か光吉だった。つい先程まで不良達に滅多打ちにされて危うく再起不能一歩手前までという状態に

いたというのに、今ではすっかり立ち直ってしまっている。

「知り合いも何も……いや、さっきも言ったじゃないですか。俺は脩さんの一番の舎弟ですって。あの時から凄かったんですよ、脩さん。

喧嘩も滅茶苦茶強かったですし、成績も学年トップテンにいつも並んでましたし他にも体育祭とか文化祭とか…………」

「…………俺は別に舎弟にしたつもりはねぇんだが。ったく、調子のいい奴だ」

 とはいえ、脩の表情はそんなに難しいそれではなかった。中学を卒業してから光吉とは久しく会っていなかったが、軽薄だがどこか憎めない、

ノリのいい光吉特有のキャラクターは全く変わっていない事に安堵していた。そんな光吉を脩は決して嫌っていなかったのだ。

 しばらくすると光吉の視線は、脩の傍にいた二人の少女をしっかりと認める。

「うわぁ……脩さん、いつの間にこんなにモテるようになったんで!?」

「ちょ、ちょっと、矢代……光吉君だったわよね、君。違うのよ! 私は脩とはただの幼馴染みってだけだからね!?」

 しどろもどろになりながら有紗は光吉の言葉を否定する。その傍らで微笑を溢すリリィ。

「あらあら……何だか脩が可哀想ね。ま、私もそこまでの関係ではないのだけど。君の想像に任せておくわ」

「……フォローになってねぇよ」

 二人の“何でもない”という趣旨の発言を受け、わざとらしく大きく脩はため息をついた。

 

「ところでリリィ。詳しく聞くの忘れたが、用ってのはいつものあれか?」

「まぁね。新しく入荷したインセンス、試してみたかったの。頼めるかしら?」

「……それを世間一般じゃ人体実験って言うんだが。ま、断っても無駄だろうからよ」

「……流石ね。有紗さんと……光吉君だったかしら。興味があるなら貴方達もおいでなさいな」

 リリィは再び彼等の先頭に立ち、小気味よくカッターシューズを鳴らしながら歩き出す。悠然たる少女のその仕草は、道行く人を須らく惹きつける。

 脩も、有紗も、そして光吉も、黒いドレスの少女の後に続いていた。

 

 一組の少年少女が消えた後の黄昏時の秋葉原は、先程までと何ら変わりのない、

極彩色のカオスが入り混じった大理石(マーブル)模様の都市のままであった。

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